私は神戸市中央区に住まいします永田典子と申します.
私の夫,良一郎(当時73歳)が嚥下障害者になりましたのは平成9年12月のことでした.
夫はその2ヶ月前の10月27日,朝から左の手足が異常にしびれて気持ちが悪いと申して擦ったり揉んだりしておりました.午後になって近くの六甲病院へ診察してもらおうと,ジーパンにスニーカーという気楽なスタイルで自分で歩いて出かけました.本人ももちろんですが,その時いったいだれがその後のことを予想できたでしょうか.こうして私どもの嚥下障害との戦いが始まったのでした. 診察の結果,思いもよらない右の脳梗塞との診断で,そのまま入院となってしまいました.夫は,「病院から近いし,入院の用意もしたいので自宅へいったん帰りたい」と申しましたが,家で倒れたりされては大変でしょうからこのまま入院なさって下さいとの病院側の申し出に,やむなくそうすることにしました.その週は会議が3件も入っていましたので,夫としては不本意ながらの入院だったのでございました.
入院から3週間後には脳幹に出血のようなものが見られるという診断で,急遽脳神経外科のある大学病院に転院しました.そして10日目には脳圧が急激に上がりまして緊急手術を受けました.その結果嚥下障害が残ったと言うわけです.
嚥下という言葉さえ知らなかった私でございます.夫がこのような結果になったことに戸惑うばかりでございました.
口から水一滴も飲めない,栄養補給は鼻からのチューブで流動食,左手足の麻痺という哀れな姿.残された数少ない機能の会話だけが自由になるという状態に,夫は「手術をしてくれない方が良かったのに」と申しました.どうしてあげたらよいのか,何をしたら良いのか考えるすべも無い私どもでございました.「急なことでごめんなさい.」とただ夫に詫びるだけでした. 私や孫たちの必死の思いに支えられてはいたもののはかばかしい進展もないままに日日が過ぎてゆきました.
術後7ヶ月目にMRIの検査の結果,頭の中の傷は異常のないことがわかり,翌平成10年6月に始めの病院に戻りました.病院に戻りましてから前病院長の瀬籐晃一先生が,神経が本当に切れているのか診断をして下さる耳鼻咽喉科か歯科の先生のお医者さんをインターネットで探しましょうとおっしゃって,私どもが全く知らなかった嚥下療法の話をして下さいました.先の見えない不安な看病の毎日でしたが院長先生が復帰への糸口を教えて下さったのでした.
そのような中,ふとしたきっかけから長崎県の歯科医師,山部一実先生と電話でお話をすることができ,平成10年9月には神戸まで来て下さり診察を受けることが出来ました.診察の結果,「手術後10ヶ月が過ぎているけれど,訓練すれば味を楽しむことは大丈夫出来ますよ.希望を持ってください」と言われた時は,夫と私達家族がどんなに嬉しかったかわかりません.
夫も私どもも,暗くて長いトンネルのなかで明るい出口を見出したといえば大げさでしょうか. |